水面下

言い訳と記録 @underwaterilies

私はまだ、あなたの美しさを知らない。

she isに寄稿された『五線譜に紡ぐいくつもの感覚』という小指さんの文章に大きな、大きな感動を受けて昨夜はぶるりと震えてしまった。ひとりの人間という存在の途方もなさに、私は立ち尽くすしか術がなかった。

https://sheishere.jp/voice/201808-koyubi/

小指さんの描くスコアドローイングは本当に美しくて、実体を持たぬ(いや、音としての実体はあるのだが)音楽が、小指さんというフィルターを通して私の前に可視化される。それをまた私自身、自分のフィルターを通して見ている。

これは表現というより彼女の感性を表しているのだろうが、ドローイングを見ながら山の丘陵や水面の波紋、光の反射などの連想を勝手にしてしまう。しかし、この自然と音楽を結びつけたのは小指さんの感性なのか、私の感性なのか、判別がつかない。

でもとにかく、そのスコアドローイングには私の知らなかった音楽があり、景色があり、世界の見えざる一部がある。

私は"普通でいること"に執心している子供だった。自分の考える普通を維持するためになら無干渉や無関心という防壁を張ることは当たり前で、"他人に謗られない"という私の普通の基準に満たないものは、それがたとえ私の感性の一部であっても無いものとして扱った。その防壁の前で壁に気づかれないようにパフォーマンスをして、そうできない子より優位にあるような気さえしていた。自分で視界を塞ぎ、自身の世界さえ暗幕で覆って、狭い狭い世界しか見ずに生きていた。

だからきっと、もし少女時代に小指さんと毎日同じ場所で出会ったとしても、私はその狭い視野からでしか彼女を見なかっただろう。

こんなにも、こんなにも心を揺さぶる美しい景色を知らずに、自分の狭小な普通の上で丸くなっているに違いない。そう考えると、私が見過ごしてきた膨大で想像もつかない新しさや素晴らしさを秘めたものたちがいたことに、心が締めつけられてしまう。

そんな生き方の恐ろしさ、そんな生き方をしていた自分自身の恐ろしさが胸を覆った。

考えているうちに、昔の記憶がよみがえってきた。弁論大会の記憶だ。

私の学校には各生徒が自由テーマで作文を仕上げてきて、生徒の前で読み上げる弁論大会と呼ばれるものがあった。誰もがテンプレートとされる、自分の体験からの学びや気持ちを読み上げる中、自らが考える世界を語った女の子のことを思い出した。変わっていると言われる子で、やはり私とは距離があったが、彼女の見る世界の豊かさに星が瞬くような感動を覚えた記憶が浮かんできた。

「私達は多くの細胞からできています。私は、私の細胞の中に小さな小さな地球があると考えます。その地球にいる1人を仮に太郎と名付けましょう。すると太郎の細胞の中にも小さな地球があり、そこにいる1人は次郎と名付けます。すると次郎の細胞の中にも小地球があり、そこには三郎がいて、その三郎の中にも地球があり誰かがいます。太郎も次郎も三郎も、私と同じように眠りから覚めて、食事をして、勉強をして、おしゃべりをしてまた眠ったりします。

もしかすると、この宇宙の中にある地球にいる私自身も、誰かの細胞の中の一部なのかもしれません。」

ざっくりとまとめるとこんな内容だったと思う。私は十数年後の今改めて、彼女の体を形作るたくさんの宇宙と、ここにある宇宙の広大の可能性と狭小の可能性に想いを馳せた。

同時に小指さんがお父様の頭の中を小宇宙と形容したことが、ストンと腑に落ちた。

宇宙のことはあまり詳しくないが、とても大きいこと、どこまであるのか、なんのためにあるのか誰も知らないこと。人類がまだ見つけていない事実があとどれくらいあるのか、見つけた事実より多いのか少ないのかさえわかっていないことは知っている。

なんだ、そっくりじゃないか、と思う。

小指さんも、あの女の子も、家族も、好きな人も苦手な人も、私のことを嫌いな人も、彼らの思考や感情は、あの時はあそこにあったが今はどこにあるのか、

興味や関心、好きなこと、嫌いなことは知っていることの方が多いのか、知らないことの方が多いのか、わからない。

わかるのは私の視界に映るものよりずっと大きく、想像もつかないものがきっとあるということだけ。もしかしたら私自身でさえ、自分が思っているより果てしないのかもしれない。

昔、"普通ではないから"という理由で無いものとして目を瞑ってきた自分の感性を愛そうとする試みの一つで、ここに文章を書いている。ずっとひた隠しにしてきた部分なので、書くのも公開ボタンを押すのも、まだどきどきしてしまう。本当に臆病なので、ここのことは誰にも打ち明けていない。この場所を否定され笑われると、私の心は崩れ落ちてしまうから。大切だと言い合う相手にも、親友と呼び合う相手にも、弱くて臆病な私は口を結び、見えないように隠して笑う癖がまだ抜けない。

でもいつか、朗々と語り始めたい。

私の見る世界を、私の感性と言葉で、

好きな人にも苦手な人もにも、胸を張って、何にも脅かされずに。守り抜くのだ、私の強さで。

恩田陸さんの『恋はみずいろ』という短編の中にこんな一節が出てくる。

"モーツァルトの音楽は彼の人生の上澄みであるとともに、この世界の上澄みなのです。狂気と苦痛と孤独と絶望に満たされた海の、澱の上の僅かな上澄み。だからああも美しく、あんなにも純度が高いのでしょう。"

小指さんのスコアドローイングは私の知らない世界の一部で、そしてまだ知らぬ美しく力に満ちた世界がこの世に、人間の中にあることを教えたくれた。彼女の隣に立ったとしてもその景色をみることは叶わないが、互いに何処にいるのかも知らない今、私はその素晴らしさを眺め、心を揺らしている。

美しいものは柔らかく、脆く、繊細なものに根をはる。そんな部分を表現として形造り、広く公開してくれたことに感謝している。ありがとうございます。

ひとりの人間というものは、

途方も無い宇宙に似た何かで

私にはそれが見えず、

たまに運良く見ることができたりする。

彼女の世界は彼女しか知り得ず、

それは私の世界も同じこと

もし互いが見えたなら、

それは星が生まれるような奇跡だ。

ただ一つの事実は自分の世界を生きるあなたは美しいということ、そして私はまだ、あなたの美しさを知らない。それだけだ。

f:id:under_water:20180825092723j:plain

『モネ、それからの100年』

友人のとこへ遊びに東京へ、同時に気になっていた横浜のモネ展にその子と行けることになりとても楽しかった。友人の発見もその度の宝物で、この子の感性が好きだなあと思っちゃったよ。

モネの絵は実物を初めてみた、テレポート能力があるみたいな絵だった。

私はふとした拍子に又は意図的にでも、美しさに圧倒される自然の景色を目の当たりにすると、切なくなってしまう。胸の奥がぎゅうと苦しくなって、もうどうしようもなく。この刹那に、このひと時に終わってしまうからか、またきっと私の知らぬ間に現れるからかわからないけれど、切なくなってしまうのだ。

あの、屋外にしか存在し得ないはずの気持ちが、美術館の回廊でやってきた。その絵を見ると、どこかで感じたことのある、何かがやってきて、でもこんな所で会うはずがなくて。一目みてから、あれ?おかしいな?この気持ちは…と違和感があったけれど、あの朝靄の中のロンドン橋や朝日と雪解けの川面を見た時、私の胸はありありと切なくなり、なんてことだ、と思った。連れてこられてしまった、あの場所へ。モネの見た世界へ。その感動へ。

「私が描きたいのは、私とカンヴァスの間にある何かなのだ。」という言葉そのものがモネの絵だ。

彼の絵には本物の景色と同じ、又はそれを超える何かがある。ひとは誰しも自然の美しさに目を奪われてしまったことがあるだろうけど、その時の気持ちと同様のあるいはよく似たものがそこにはある。

私はその時、額縁という視界にモネの見た世界を写してしまったのかもしれない。

友人と話しながら見ていると、睡蓮はふと目に入った時が最も衝撃的だという話になった。睡蓮の展示室は壁がアーチを描きそこに飾られていて、その部屋に四角く切り取られた入り口から睡蓮に対して横に入っていくのだけれど、入室のその時、ちょうど目に入るのはアーチ状の壁に掛けられ斜めに角度のついた睡蓮。そしてその睡蓮は、まるで水面に浮いているかのように、花が浮かび上がってくる。正面からももちろん美しいが、部屋に入った時のあの一瞬がなんとも言い難い感動があった。

モネからインスピレーションを受けた現代アートも数々展示されていた。その際時代が近づくにつれ芸術は生活に近くなってくる気がする、という話も友人とした。宗教画やアカデミーの絵は美術館で立派な額に飾られて見たい。印象派は部屋に欲しい。朝のミルクティーを片手にキッチンから居間に入ってくる時、ふと目についてその素晴らしさにしみじみとしながら一服したい。現代アートはそのままポーチにして持ち歩くのもいいね。なんてね。

あの時代しか生まれ得なかったものがあるように、今しか生まれないものもきっとある。見逃したくないな、と思う。

f:id:under_water:20180820223332j:plain

汝、隣人を愛せよ🌙

このところ『美少女戦士セーラームーン』の初期シーズンをアマゾンプライムで見返していた。この時期は無印と言われ、この後のシーズンの末尾にRやSなどがつくのでそう呼ばれるらしい。無印はちょうど生まれた頃くらいの作品なのでイマイチ知らなかった部分も多く、絵柄も雰囲気もレトロかわいいこともあって楽しく1シーズン分見終わった。終盤が評判の鬱展開でこれを乗り越えた現役女児に慄きつつも、すっかりハマって続きのRを観たい、とプライム内を探すと劇場版があった。まあたぶん続きだろうと思って観たら、アニメがどうやら先だったらしく当然のように無印には登場しなかったちびうさが出ていた。ちょっとショック。とかそんなことはどうでも良くて。

この劇場版Rで泣いてしまった。ぼろぼろと。まさかとは思ったけれど本当に泣いてしまった。

無印シーズンを通して、正直言うと主人公のセーラームーンであるうさぎにイラッとすることが多かった。だって本当に何もできないのだ。マーキュリーの亜美ちゃんみたいに勉強が良くできて知性があるわけでもなく、マーズであるレイちゃんみたいに家の神社を守り勇ましさを持つのでもなく、ジュピターことまこちゃんみたいにシンプルに強くてまた家庭的な面も備えているわけでもなく、ヴィーナスの美奈子ちゃんみたいに正義の戦士としての心意気や実績があるわけでもない。実生活でもセーラー戦士としても、本当に何も特筆するところのない、普通の女の子なのだ。どこにでもいる女の子、それに対して仲間の戦士たちは揃いも揃ってスーパー中学生なものだから、また何だかうさぎが情けなく見えてくる。

シーズンの終盤、クライマックスでも

「もう戦いたくない!」(これは何度も言う)

「もうやめて帰ろうよ!」(敵のアジトに乗り込んだ時)

「銀水晶なんてあげちゃおう!もう皆んなが傷つくの嫌なの!」(あげると地球は滅びる、セーラー戦士は1人死亡済み)

と、地球を救う正義に燃える仲間の横でまるで駄々っ子で、(なーんでこんなキャラクターの子、主人公にしちゃったんだろ)とぼーっと考えながら少しイラつきながら観ていた。思い返せば昔から憧れるのは美しくて強く戦う仲間の女の子の方で、ごねる割には美味しいとこだけ持っていくうさぎには、(なんだかなあ、プリンセスだからってね。)なんて考えてしまっていた。

それがこの劇場版Rで全く改まってしまった。今まで気づかなかったし、考えもしなかったこと。自分の浅慮さに少し恥ずかしささえ覚えた。

それは、スーパー中学生な女の子だって、ただの女の子であり、輝きの影には孤独や偏見が存在するということ。それは持たざる者には理解できないこと。けれども、理解などできなくとも笑い合うことは許されるのだということ。普通じゃないこと、特別であることは素晴らしい、でもそれには努力や我慢や誤解が付きもので、その中で平気そうに笑ってみせるのは酷く難しい。一度与えられた役割からは中々抜け出すことはできない。だから戦うしかない。がんばるしかない。

けれど、そんな特別な一面を持ちながらも、うさぎの側では普通の女の子で居られるのだ。亜美ちゃんは勉強しなくてもいいし、レイちゃんはお家のことを考えなくてもいいし、まこちゃんは女の子らしく振舞っていいし、美奈子ちゃんは正義の味方じゃなく友達としてなんでも話していい。うさぎは友達に何の役割も求めない。そのままで、頑張らない彼女たちのままに笑いかけるのだ。遊ぼうよ!おしゃべりしようよ!恋をしようよ!大好きだよ!と。子供たち、頑張らなくていいんだ。何者かになろうとしなくったっていい。おしゃべりしてアイスクリーム食べて恋をして友情を深めて、それでいいんだ、と。女の子の、いや全ての子供の頑張らない時間を肯定してくれる存在がうさぎなんだと思う。

そしてうさぎはいつも友達や家族や好きな人を守りたがる。正義とか地球とか平和とか、そんな大きなものは友情や愛の前には敵わない。それはある意味では正しくないし弱さかもしれない。けれどある意味では真理であり強さだと思う。

うさぎに限ってはセーラー戦士なので戦わねばならないときが来る。けれども私達はセーラー戦士ではないので、変身して幻の銀水晶で地球を守ることはできないので、なので、隣の、友や家族や恋人を抱きしめなければならない。

ひとりひとりが抱きしめ合い、手を繋いで、笑いあって、それが連なって連なって連なれば、行きつく先は平和だから。

この世界で私が手をとれない相手は他の誰かが手をとってくれるので争う必要も戦う必要もない。私はキリスト教徒でもなく、宗教に関する知識も乏しいし、キリストの言ったことにはすでに時代錯誤なこともあるとは思うが、「汝、隣人を愛せよ」の言葉は真理であると思う。

セーラームーンは間違いなく名作だ。私の周りの男の子は攻撃的な子が多かったし多いけど、それはセーラームーン見てなかったからじゃない?って思うほど優しさに満ちた、優しさを学べるものだと感じる。全児童必修アニメではないですか?

そしてその物語は子どもを甘く見ていないので、子どもに思考を与えてくれると思う。あのアニメが出した宿題を子ども達は懸命に受け取り、噛み砕き、理解しようとするだろう。あの頃の私が見ていたらどんな気持ちになっただろうか。子どもの感性で見てみたかった。

何かが出来ることは素晴らしいけれど、何もできなくたってあなたは主人公だとうさぎが教えてくれるし、

誰かに立ち向かうのではなく、誰かを抱きしめることの正しさを、教えてくれる。

f:id:under_water:20180725021118j:plain

こちらは台風一過

どうも、こちらは嵐が来ましてね、ええ、そうです最近あった台風です。雨?そうですね、凄かったです。

でも、何より風が強くてですね、ええ、ガラスをガタガタと鳴らすし、窓から見える電線をそれは激しく揺らすんですよ。何か飛んで来て窓でも割れるんじゃないかとか思いましたね。ええ、はい。流石に外に出る気も用事も無かったのでね、ひとりで家にいました。

怖い?まさか、ちっとも怖くなんてなかったですよ。小さな子どもでもないですし、ああ、子どもでも平気な子はいるでしょうからそれは失礼ですかね。

目覚ましは普段通りにかけてはみたのですが、止めてまた、ベットにダイブしました。やはり嵐のせいか涼しい朝でね、シーツもひんやりとしていてそれは気持ちよかったんですよ。最後に二度寝したのはいつか覚えてます?私はね、二度寝なんて本当に久しぶりで、シーツに顔を擦り付けたあと、そのことに気づいて、首に巻きつけたタオルケットからはたまらなくいい匂いがして、幸せだなぁと思いながらうつらうつらと目を閉じたんです。あれに勝る幸福感はなかなかないですねえ。ええ、本当に。

起きたのは昼時でしたね。前の日に作り置きをしたので簡単に昼食は済ませました。卵と玉ねぎの味噌汁を作ってね、あれ、食べたことあります?私は味噌汁ならあれが1番だと思いますね。ぜひ作ってみてくださいよ、玉ねぎを煮てふつふつしたのに卵を落とすだけですから。味噌汁は沸騰させると悪いなんて言いますけど、味噌を入れる前のことだし、おいしいのでいいんですよ、きっと。

そのあとは、読みかけの本を読んでね、そしたら昼過ぎから嵐は本番ということで、さっきも言いましたけど、風がすごくてねえ。外の世界は雨で薄くぼやけて、風に吹き付けられる付近の木や垣根が激しく揺れるのが見えるくらいで、もう全てが嵐に奪い尽くされるのではないかと思うほどの荒れようで。私はひとり、部屋で緑色のカウチに座って、数年前に買った、もう棉もへこたれた黄色い花のクッションを抱いて、本を読むんですよ。コーヒーなんていれてね。

どんなに外の風がまどを揺らそうと、雨が叩きつけようと、その、部屋の中の静けさやそれに連なる幸福は、全く侵されないんですよ。それがひどく幸せで、忘れたくない、と思ったんです。

そのあとは眠ってしまったり、また起きて面倒ごとをしたり、映画をみたりして、夕食も簡単に済ませて、食後のデザートにたっぷりのヨーグルトクリームをのせたラムパウンドケーキを甘くないカフェオレと食べながら、日記を書いたりしましたね。

そうでしょう?嵐なんて関係ないぐらい穏やかな1日ですよね。え?うーん、嵐が好きかと言われると、よくわかりませんが、周りが風にかき消されるぶん、自分がはっきりするような気はします。

そうですね、はい。

思い出しますね、幸せだということを。

ああ、今日は台風一過で、素晴らしい天気ですね。

f:id:under_water:20180707151823j:plain

装いを選ぶ

装うこと、について考えている。千早茜さんの『クローゼット』を読んだ。洋服の美術館を舞台にした物語で、服を見るもの選ぶのも着るのも好きな私としては知らなかった"好き"にまつわる世界だった。物語はもちろん面白く、知らないこと美しいものが沢山でてきて、興味深く味あわせていただいた。その中でやなやつとして出てくるアフロヘアーの高木さんが、洋服が好きで真剣に向き合っている顔の綺麗な男の子に正論を突きつけられた時に吐き捨てた言葉が私の胸にぐさりと刺さってしまった。

「お前みたいな奴になにがわかる!

なに着ても様になって、ろくに努力しなくても人にちやほやされてきたお前なんかに」

いやな登場人物としてみていた高木さんが途端に血の通った暖かさを持つ存在になって、顔を真っ赤にして眉を寄せて、悔しさに唇を歪ませた様が眼に浮かび、自分も同じように顔が赤くなっているのではないかと思った。高木さんはもちろん間違っているし、綺麗なひとがなんの苦労もないと思うのは偏見も甚だしい。けれども私はその時、正しい綺麗な男の子の側ではなく、高木さんの側にひどく共感してしまった。

今でこそ服を選び身につけるのは楽しみのひとつだが、昔は苦痛なことだった。何をどう着ていいのかわからず、選んだものは却下され、身につけるとダサいと言われるばかりだった。

私は容姿に華がない。顔のつくりはあっさりとしていて、印象に残りづらく、地元の友達に似ていると言われることもある。対して、姉はデパートに並ぶコスメブランドのファンデの色が追いつかないほど白い肌を持ち、清楚でありつつも華やかな顔立ちの美人だ。美しい子供というのは何を着せても本当によく似合うもので、特に飾り立てないほうがその美しさがよく際立った。姉のお下がりは姉が着るとあんなに素敵だったのに自分が着てみればその輝きは失われてしまい、がっかりした。引き算に引き算を足せばマイナスは増える一方なのだ。

加えて姉はセンスがよく、自分に似合うものがよくわかったし、両親や祖父母との好みも合致していた。姉が選んだものは許可され、私が選んだものは却下される度に、どんどん服を選ぶことや身につけることが恐くなってきた。そこには買う人や評価する人の好みという正解があり、その正解を導き出さねばならない試練を受けているような心地になっていた。

完璧なコンプレックスから私の服選びは始まった。いいと言われるものを選ぶこと、惨めにならないものを選ぶこと、それが条件だった時は装うことはちっとも楽しくなかった。

変わったのは沢山の雑誌を読み、体型を評価し痩せたり、数多くの変、おかしい、ダサいという言葉を乗りこえ、自分で服を選ぶことを手に入れた時。自分で選んだものを身につけるという自由は痺れるほど幸せで、服というジャンルを通して、私はなりたい自分になっていいのだということを知った。

与えられたものなんて、選び取った好きなもので塗り替えてしまえばいいのだ。自己は不変ではなく、素敵だと思うものに向かって変わるのは悪いことではない。服は最も変えやすい自分の一部だと思う。

高木さんの怒りや悲しみは私に近いものがあると思う。私達は服に選ばれない側で、何を着ても似合うというわけではない。慎重に吟味と熟慮を重ねてこちらが服を選んでいかねばならない。そうしなければ上手くいかない。それは服に限ったことではないだろう。

けれど変わることができる。人は変わる。自分が身につけるものは、ことは、自らの手で選び取ることができる。そして身につけた時、胸を張れるものを私は選んでいきたい。

きっと高木さんも選んで、変わっていくんだろう。

もとに華がないぶん、沢山の華を手に入れることができる。スタイルを損なわないラインの服を着てアクセサリーをいっぱい付けたり、フリルやレースをあしらった鮮やかな服を着たりするのが似合う、とやっとわかってきた。それは美しい姉には過多になるものであったりして、装うことは奥深いと感じる。

昔の自分よりずっと今の自分が好きだ。

ずっとずっと、皺ができても、髪がうすくなってもそう思っていたい。だから私は選び続けたいし、変わり続けたい。

f:id:under_water:20180625232815j:plain

口癖

ひとりで暮らし始めてからというもの、自分の生活スタイルが見えてくる。休日の朝は大寝坊するよりいつもより少し遅いぐらいに起きたほうが好きだとか、午前中に家事をするのが気持ちいいだとか、毛布は着れなくなるギリギリまでしまいたくないだとか。

それに加えて、自分は独り言を言わないタイプなのだということも分かった。誰にも会わずに過ごすなら、一言も喋らないのだ。あ、とかう、とかぐらいなら言っているのかもしれないけど、意味をなす言葉をあまり発しない。数日人に会わないと喋らなさすぎて、そういえばまだ声が出せるのかな?と疑問に思ってあーーーなんて言ってみることもある。

こんな調子だからこそ、自分の口癖というものにひとり暮らしをして初めて気づいた。というか、今まで言っている意識がなかったし、もしかしたら、いまひとりであるという気の緩みがこの口癖を生むのかもしれない。それは全く頭に浮かぶとか考えるとか感じるとか、とにかく脳を介する感覚が皆無なので、本当に口癖としか言いようがないのだ。

私の口から、するりと、勝手に、

「しにたい」と出てくる。

ひとりきりの部屋で初めてこの言葉を耳にした(もしくは意識して聞いた)ときは驚愕した。自分の他に誰か居るのかとさえ思った。けれども、どう考えても今の声は聞きなれた自分の声で、なんだって、しにたいだって!?と信じられない気持ちになった。そのとき私はこれっぽっちもしにたいなんて思っていなかったからだ。

それに気づいてからというものの、やたらと言っているということがわかった。今日の失言について考えたとき、朝のミルクティーを飲んでひと心地ついた後、鏡から目を逸らしたとき、ふと窓からみた空が青く晴れていたときも。それには法則性があるような、ないような調子で口をついて出てきた。嫌なことを思い出したり反省したりした時はまあ、当たり前に出てくるのだが、落ち着いた幸福を味わっているときも出てくるのだ。綺麗だなぁと思った直後に自分の口から、「しにたい」と出てくるときさえあった。ひとつだけ明確なのは、その言葉は"完全にひとりきり"のときしか出てこないということだった。なので、幸いなことに誰も私のこの口癖を聞いたひとはいない。

困った。あんまり心理学には詳しくなく、スピリチュアルな方でもないが、これがよくないものであるとは思った。あるのかわからない運気も悪くなりそうだし、壁には祖母が高名なお寺から取り寄せたお札さんもいることだし、こんなに言うのだからと言霊が本気にしても困る、と思ったのだ。

それからは口から「しにたい」という言葉が出てきたときには、続けて「しにたくない、しにたくない、しにたくない」と反対の意を3回唱えることにした。流れ星も3回言えたら願いを叶えてくれるそうなので、3回という数字はきっと大切だ。

それを続けていたら、今ではごっちゃになったようで「しにたくない」が意図せず口からこぼれてくるようになった。もう何が何だか、おまえは死の病にでもかかっているのかと、自分でも呆れて笑ってしまう。

思えば、私はいつも終わりを待ち望んでいた気がする。小学校がつまらなさすぎて、早く大人になりたいと思っていたし。中学は自分づくりに必死で、しんどい早く終わって欲しいと思っていたし。高校は死に物狂いで勉強したので、早く大学に受かりたいと思っていたし。何かの終わりを待ち続けていたなあと思う。

こうして大学までやってきて、それなりの自由を得るとなんの終わりを待ち望めばいいのか分からなくなってしまったのかもしれない。そうして結局、最後の終わりを意識してしまったのかもしれない。

大学も終盤に差し掛かり、乗り越えねばならないことが現れてきたので出てくる頻度は減った。ほっとしていた。正直、普段へらへらしている自分のこういう暗い側面が現れてくると、自分の事ながら怖いし、気味が悪かった。

無意識に口から出てくるぐらいなので、全く思っていないことはないのだろうとは分かっていたのだけれど。

一度、大学の勉強でひどく躓いて留年しそうになったことがあって、それは乗り越えられたのだけど、その恐ろしさはしばらく残って夢に見た。その夢のなかで私はいよいよ留年してしまって、何もかも終わりだ、と思って、これからどうしよう、と思って。

そして、「よし、死のう」と思ったのだ。

あの時の感覚は夢のくせに鮮明に今でもこびりついていて、なんだか、人生でもそうそう経験したことの無い快感だった。遺された家族がとか、留年くらいで自殺なんて情けないとかちっとも思い浮かばずに、心にズシリと沈んでいたものがふわっと軽くなって、完璧な正答を導き出し、これが最高の結末である。と自分を心から褒めたくなった。これから先の死を想って、わくわくした。

目覚めたあと、自分の危うさに愕然とした。私は夢を滅多に見ない代わりに、久しぶりに夢を見ると現実との境が曖昧になってしまうのだけれど、上体を起こしたまま暫く動けなかった。今見た夢が現実ではないということを記憶をゆっくりと辿って確認して、深く息を吸い込んでベットから這い出した。

そのとき、薄ぼんやりと、私は自分が思っているより取り扱い要注意な人物なのかもしれない、とわかったのだ。よろめいたら、このまま海に落ちて沈んでしまいたいと思うのかもしれない。事実、私は足場の悪いところや高いところが恐い。自分がすぐ死んでしまいそうだからだ。ああいうところが平気なひとは、肝が座っているだけではなくて、自分が死ぬなんてちっとも考えたことがないんではなかろうか。

あれから自分の扱いには気をつけている。きつくなったら放って置かずに、どうしたの?と聞いてやり、ご機嫌にさせるために好きなことをしよう、と動いたり。私はひとから見ると、いつもにこにこと機嫌が良さそうに見えるらしいので、自分の機嫌は自分でとるのが一番だ。それに気づいてから、きつくなることは少なくなったと思う。

出処がわからず、なんだだろう?理由がわからない。なーんともないのに。みたいな事も、自分から出てきたものならば、確かに自分の感情の一端なのだと思う。私の口癖は、自分へのSOSみたいなものだったのかもしれない。

f:id:under_water:20180612022826j:plain

ここはいつかの虹の向こう

今週のお題「お部屋自慢」

お部屋自慢というより、ただ自分の部屋は最高といいたいだけの話。

私はひとり暮らしを始めるまで自分の部屋、というものを持ったことがなかった。

三兄妹の末っ子で、大きくなるにつれて兄、姉、私と何につけても順に与えられてきたので、私が大きくなった頃には純粋に私に与えるスペースが家になくなっていた。元は順序立てて与えられていたものも、3人目にもなると忘れられてしまうのはもう慣れっこだったので、特別不満に思うこともなかった。そんなこんなで、小、中、高校と"自分だけの空間"を持たずに生きていた。

今となってはよく保っていたな、と思う。思春期という多感な時期なのに加えて、前の日記にも書いたが、私はそれぞれの場に適した役を演じるように生きていた。それは家庭においても例外ではなくて、両親や家族の望むいい子をしていた。

自我を持って間もないくらい幼いときは、そりゃわりと好き勝手していたかもしれないが。私には反抗期が来たことがない。3歳の自我の芽生えにおける第1反抗期は来ていたのかもしれないが、母は私がとても手のかからない子だったというから、あんまりなかったのじゃないかなどと勝手に思っている。

ともあれ、少なくとも私は意図して反抗したことはなく、家族の顔色を窺いながら過ごしている自覚があった。小学生半ばくらいからそうだったので、もうそれは染み付いて、疲れたとかいう感覚も麻痺していたと思う。

なので、理不尽だとか酷いとか思うことがあってもそういう怒りは鳩尾のあたりでぐっと押しとどめて、穏やかな顔で「そっか」「わかった」なんて言えるようになってしまって、むしろこれは長所だと思っていた。こんなのが24時間体制で続くのである。冷静に、よくやって来たな、と自分に感心する。

そうなるに至った幼少期からのまごまごした思いは高校に入るあたりに、勉強すればなんとか解決するだろう。というなんだか乱暴な結論に至って、控えめに言っても私は猛勉強した。もともと出来があまりよろしくないので、それでもたかが知れているが、とにかく家族のいい子として納得してもらえるくらいの学部にひょんと入ることができ、地元を出ることになった。

そうしてひとり暮らしが始まった。

大学があるのは坂ばかりの狭い港に面した街で、土地がとにかく無かった。なので家賃の低い部屋はわりと高いく狭い場所にある。建築士の父はこの街をみて、どの家も建築法違反だな、と笑った。

私はごく普通の一般家庭の出なので、利便性のいい高い部屋は借りられず、階段をえっこらえっこら登らねばならないような部屋を借りた。見学に行ったときはまだ部屋に人が入っていたので、内覧すらできなかった。だけれどなんだか直感で、この部屋がいい。と決めてしまった。そうして、その直感は大正解だった。

この部屋は西日がよく入る。黄昏の光を満喫した後に紺碧に世界が沈むのをじいっと待っているのが好きだ。もう、誰にも、なんでこんな暗くしてるの?電気くらいつけなさい。なんて言われない。

本を置くスペースはあまりないけれど、気軽に行ける距離に図書館もあればTUTAYAもある。ふと思い立って何を借りてこようとも、誰にもそんな時間があるくらいなら、なんて言われない。

道路からも離れるので、車の音もほとんどしない。朝の鳥のさえずり、春にはかっこう、鳶の口笛、猫の喧嘩が聞こえるくらい。そして近所の家々は猫の額ほどの庭に沢山の植物を植えて道にまではみ出しそうな勢いだ。その、自由さもいい。

そして何より

好きなことをして良い。好きなことを誰の目も気にせずしていい、という環境は、楽園だ。

姉は進学で地元を出てから、1ヶ月はホームシックで泣きながら電話してきたり、家に帰ってきたりしていたのに、私はカケラも寂しいなんて気持ちが起きなかった。清々しい解放感でいっぱいで、電話すらも怠るものだから、母に最初はチクリと言われた。

私の部屋は、すごい。

虹の向こうには素晴らしい国があるというけれど、ここはそれにも劣らぬ、素敵な場所だ。

この部屋は私の好物を作るシェフ(もちろん自分)のキッチンがある

この部屋は大好きな映画を流す映画館がある

この部屋は私の拙い作品を作るアトリエになる

この部屋は好きなだけ読書旅行を楽しめる時間がある

この部屋は日々の役に疲れた中の人の私を受け入れてくれる

誰にも見つからない、隠れ家。

ふと窓を見ると、電線で区切られながらも高い空が一面に見える。

誰もいない所でこっそり声を殺して泣きながら、自分が自分でいられる場所が欲しいと思った私にとっては夢のような、あの虹の向こうのような。

この部屋は、私だけの虹の向こうの国。

f:id:under_water:20180604153957j:plain