水面下

言い訳と記録

思うなら語ってくれよ

これは宣誓みたいなものにしようと思う。

昨年の今頃の時期に心がきつい、ということをはっきりと自覚して、どうにかしなければならないと思った。人生で初めて食べれないという体験をした。

私はもともと色々な役を担うイメージで日々の人間関係とか、仕事とかをこなしている節が昔からあって、もうそれは幼少期から染み付いているものなので、"無理をしていない自分"というものかどういうものなのか、曖昧になってしまっていたと思う。

だから、今、きつい。と思ったときも、それは一体どの部分の自分がきつくて、どの部分の自分が心地いいのか。情けないことに全く見当がつかなかった。


だから、書いてみることにした。


なんでこんなにぴくりとも動けないほど疲れているのか、日々が憂鬱で仕方なくなるのか。考えるだけではなくて、ペンを握って書くと、あああれがつらかった、これがきつかった、そしてこう感じた。とどんどん言葉にすることができた。そして自分の感覚を言葉という形にしたとき、「私はこういう気持ちだったんだ。」と正確に手に取ることができたのだ。

またつらくなってきた時に読み返すことで、今のひとりぼっちの私に、書いた時のひとりぼっちの私が寄り添ってくれるような、誰にも会いたくない夜をひとりで過ごさなくていいような心地になったのだ。(矛盾しているようだけど、誰にも会いたくないけど寂しい。ということがある)


それに加えて、ぼんやりとしたものを言葉という形にすることは、予想外の快感というか、楽しさがあった。飽きることなく、言葉にすることは続けていった。

苦しい時期も過ぎ去った夏の終わりから、好きなものも言葉で形にするようになった。そうすると"好き"が手に取れる上に、また読み返すことができる。すごく素敵なことを大発見してしまった。


ちょっとしたことを書くことを始めると、誰かのちょっとした書き物を読みたくなる。ちょっとした書き物の代名詞といったらツイッターが一番だろう。私はツイッターとインスタの違いは文書か写真か、だと思っている。ツイッターはその人の思考が文字となって流れてくるもので、インスタはその人の見た景色が写真となって流れてくるものなのではなかろうか。まあそんなことでツイッターの書き物を探し回るアカウントをつくり、目に届く範囲のものを楽しんでいた。楽しませていただいていた。享受するだけで。


いろんな、素敵な、文書や考え。それらに触れれば触れるほど、貰うだけなのが申し訳なくなってくる。感想や感謝を送ろうにも、生来の引っ込み思案がいつどこで送るか?なんで騒ぎ出してなかなか送れない。

そんな中、椎名林檎さんの『人生は夢だらけ』という曲中に

"この世にあって欲しい、ものをつくるよ"

というフレーズが出てきた。冬の始めの季節だったと思う。清々しい冷たい空気を吸い込みながら、ああ、そうだね、そうだな。と思ったのを覚えている。

私は弱いから、チープで簡単でお手軽なものをつくりがちだけれど、本当にほんとに欲しいのは、誰かが手を込めた唯一無二のものだ。

よし、つくろう。と心に決めた。


それからアカウントを整理したり、書く場所を探したりしてうろうろしていたらこんな時期になってしまったけど。とりあえず、始めてみることにする。


ここに書く言葉が欲しい人なんてほんの少しだろうし、なんじゃこりゃと思ってばってん押されて消えてしまうことがほとんどかもしれない。

でも、私の言葉も、きっと誰かから貰ったものだから。だから今度は誰かに渡そう。

そしたら、またきっと誰かが私に言葉をくれる。 思うなら、語ってくれよ。言葉はきっとループする。