水面下

言い訳と記録

ここはいつかの虹の向こう

今週のお題「お部屋自慢」

お部屋自慢というより、ただ自分の部屋は最高といいたいだけの話。

私はひとり暮らしを始めるまで自分の部屋、というものを持ったことがなかった。

三兄妹の末っ子で、大きくなるにつれて兄、姉、私と何につけても順に与えられてきたので、私が大きくなった頃には純粋に私に与えるスペースが家になくなっていた。元は順序立てて与えられていたものも、3人目にもなると忘れられてしまうのはもう慣れっこだったので、特別不満に思うこともなかった。そんなこんなで、小、中、高校と"自分だけの空間"を持たずに生きていた。

今となってはよく保っていたな、と思う。思春期という多感な時期なのに加えて、前の日記にも書いたが、私はそれぞれの場に適した役を演じるように生きていた。それは家庭においても例外ではなくて、両親や家族の望むいい子をしていた。

自我を持って間もないくらい幼いときは、そりゃわりと好き勝手していたかもしれないが。私には反抗期が来たことがない。3歳の自我の芽生えにおける第1反抗期は来ていたのかもしれないが、母は私がとても手のかからない子だったというから、あんまりなかったのじゃないかなどと勝手に思っている。

ともあれ、少なくとも私は意図して反抗したことはなく、家族の顔色を窺いながら過ごしている自覚があった。小学生半ばくらいからそうだったので、もうそれは染み付いて、疲れたとかいう感覚も麻痺していたと思う。

なので、理不尽だとか酷いとか思うことがあってもそういう怒りは鳩尾のあたりでぐっと押しとどめて、穏やかな顔で「そっか」「わかった」なんて言えるようになってしまって、むしろこれは長所だと思っていた。こんなのが24時間体制で続くのである。冷静に、よくやって来たな、と自分に感心する。

そうなるに至った幼少期からのまごまごした思いは高校に入るあたりに、勉強すればなんとか解決するだろう。というなんだか乱暴な結論に至って、控えめに言っても私は猛勉強した。もともと出来があまりよろしくないので、それでもたかが知れているが、とにかく家族のいい子として納得してもらえるくらいの学部にひょんと入ることができ、地元を出ることになった。

そうしてひとり暮らしが始まった。

大学があるのは坂ばかりの狭い港に面した街で、土地がとにかく無かった。なので家賃の低い部屋はわりと高いく狭い場所にある。建築士の父はこの街をみて、どの家も建築法違反だな、と笑った。

私はごく普通の一般家庭の出なので、利便性のいい高い部屋は借りられず、階段をえっこらえっこら登らねばならないような部屋を借りた。見学に行ったときはまだ部屋に人が入っていたので、内覧すらできなかった。だけれどなんだか直感で、この部屋がいい。と決めてしまった。そうして、その直感は大正解だった。

この部屋は西日がよく入る。黄昏の光を満喫した後に紺碧に世界が沈むのをじいっと待っているのが好きだ。もう、誰にも、なんでこんな暗くしてるの?電気くらいつけなさい。なんて言われない。

本を置くスペースはあまりないけれど、気軽に行ける距離に図書館もあればTUTAYAもある。ふと思い立って何を借りてこようとも、誰にもそんな時間があるくらいなら、なんて言われない。

道路からも離れるので、車の音もほとんどしない。朝の鳥のさえずり、春にはかっこう、鳶の口笛、猫の喧嘩が聞こえるくらい。そして近所の家々は猫の額ほどの庭に沢山の植物を植えて道にまではみ出しそうな勢いだ。その、自由さもいい。

そして何より

好きなことをして良い。好きなことを誰の目も気にせずしていい、という環境は、楽園だ。

姉は進学で地元を出てから、1ヶ月はホームシックで泣きながら電話してきたり、家に帰ってきたりしていたのに、私はカケラも寂しいなんて気持ちが起きなかった。清々しい解放感でいっぱいで、電話すらも怠るものだから、母に最初はチクリと言われた。

私の部屋は、すごい。

虹の向こうには素晴らしい国があるというけれど、ここはそれにも劣らぬ、素敵な場所だ。

この部屋は私の好物を作るシェフ(もちろん自分)のキッチンがある

この部屋は大好きな映画を流す映画館がある

この部屋は私の拙い作品を作るアトリエになる

この部屋は好きなだけ読書旅行を楽しめる時間がある

この部屋は日々の役に疲れた中の人の私を受け入れてくれる

誰にも見つからない、隠れ家。

ふと窓を見ると、電線で区切られながらも高い空が一面に見える。

誰もいない所でこっそり声を殺して泣きながら、自分が自分でいられる場所が欲しいと思った私にとっては夢のような、あの虹の向こうのような。

この部屋は、私だけの虹の向こうの国。

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