水面下

言い訳と記録

口癖

ひとりで暮らし始めてからというもの、自分の生活スタイルが見えてくる。休日の朝は大寝坊するよりいつもより少し遅いぐらいに起きたほうが好きだとか、午前中に家事をするのが気持ちいいだとか、毛布は着れなくなるギリギリまでしまいたくないだとか。

それに加えて、自分は独り言を言わないタイプなのだということも分かった。誰にも会わずに過ごすなら、一言も喋らないのだ。あ、とかう、とかぐらいなら言っているのかもしれないけど、意味をなす言葉をあまり発しない。数日人に会わないと喋らなさすぎて、そういえばまだ声が出せるのかな?と疑問に思ってあーーーなんて言ってみることもある。

こんな調子だからこそ、自分の口癖というものにひとり暮らしをして初めて気づいた。というか、今まで言っている意識がなかったし、もしかしたら、いまひとりであるという気の緩みがこの口癖を生むのかもしれない。それは全く頭に浮かぶとか考えるとか感じるとか、とにかく脳を介する感覚が皆無なので、本当に口癖としか言いようがないのだ。

私の口から、するりと、勝手に、

「しにたい」と出てくる。

ひとりきりの部屋で初めてこの言葉を耳にした(もしくは意識して聞いた)ときは驚愕した。自分の他に誰か居るのかとさえ思った。けれども、どう考えても今の声は聞きなれた自分の声で、なんだって、しにたいだって!?と信じられない気持ちになった。そのとき私はこれっぽっちもしにたいなんて思っていなかったからだ。

それに気づいてからというものの、やたらと言っているということがわかった。今日の失言について考えたとき、朝のミルクティーを飲んでひと心地ついた後、鏡から目を逸らしたとき、ふと窓からみた空が青く晴れていたときも。それには法則性があるような、ないような調子で口をついて出てきた。嫌なことを思い出したり反省したりした時はまあ、当たり前に出てくるのだが、落ち着いた幸福を味わっているときも出てくるのだ。綺麗だなぁと思った直後に自分の口から、「しにたい」と出てくるときさえあった。ひとつだけ明確なのは、その言葉は"完全にひとりきり"のときしか出てこないということだった。なので、幸いなことに誰も私のこの口癖を聞いたひとはいない。

困った。あんまり心理学には詳しくなく、スピリチュアルな方でもないが、これがよくないものであるとは思った。あるのかわからない運気も悪くなりそうだし、壁には祖母が高名なお寺から取り寄せたお札さんもいることだし、こんなに言うのだからと言霊が本気にしても困る、と思ったのだ。

それからは口から「しにたい」という言葉が出てきたときには、続けて「しにたくない、しにたくない、しにたくない」と反対の意を3回唱えることにした。流れ星も3回言えたら願いを叶えてくれるそうなので、3回という数字はきっと大切だ。

それを続けていたら、今ではごっちゃになったようで「しにたくない」が意図せず口からこぼれてくるようになった。もう何が何だか、おまえは死の病にでもかかっているのかと、自分でも呆れて笑ってしまう。

思えば、私はいつも終わりを待ち望んでいた気がする。小学校がつまらなさすぎて、早く大人になりたいと思っていたし。中学は自分づくりに必死で、しんどい早く終わって欲しいと思っていたし。高校は死に物狂いで勉強したので、早く大学に受かりたいと思っていたし。何かの終わりを待ち続けていたなあと思う。

こうして大学までやってきて、それなりの自由を得るとなんの終わりを待ち望めばいいのか分からなくなってしまったのかもしれない。そうして結局、最後の終わりを意識してしまったのかもしれない。

大学も終盤に差し掛かり、乗り越えねばならないことが現れてきたので出てくる頻度は減った。ほっとしていた。正直、普段へらへらしている自分のこういう暗い側面が現れてくると、自分の事ながら怖いし、気味が悪かった。

無意識に口から出てくるぐらいなので、全く思っていないことはないのだろうとは分かっていたのだけれど。

一度、大学の勉強でひどく躓いて留年しそうになったことがあって、それは乗り越えられたのだけど、その恐ろしさはしばらく残って夢に見た。その夢のなかで私はいよいよ留年してしまって、何もかも終わりだ、と思って、これからどうしよう、と思って。

そして、「よし、死のう」と思ったのだ。

あの時の感覚は夢のくせに鮮明に今でもこびりついていて、なんだか、人生でもそうそう経験したことの無い快感だった。遺された家族がとか、留年くらいで自殺なんて情けないとかちっとも思い浮かばずに、心にズシリと沈んでいたものがふわっと軽くなって、完璧な正答を導き出し、これが最高の結末である。と自分を心から褒めたくなった。これから先の死を想って、わくわくした。

目覚めたあと、自分の危うさに愕然とした。私は夢を滅多に見ない代わりに、久しぶりに夢を見ると現実との境が曖昧になってしまうのだけれど、上体を起こしたまま暫く動けなかった。今見た夢が現実ではないということを記憶をゆっくりと辿って確認して、深く息を吸い込んでベットから這い出した。

そのとき、薄ぼんやりと、私は自分が思っているより取り扱い要注意な人物なのかもしれない、とわかったのだ。よろめいたら、このまま海に落ちて沈んでしまいたいと思うのかもしれない。事実、私は足場の悪いところや高いところが恐い。自分がすぐ死んでしまいそうだからだ。ああいうところが平気なひとは、肝が座っているだけではなくて、自分が死ぬなんてちっとも考えたことがないんではなかろうか。

あれから自分の扱いには気をつけている。きつくなったら放って置かずに、どうしたの?と聞いてやり、ご機嫌にさせるために好きなことをしよう、と動いたり。私はひとから見ると、いつもにこにこと機嫌が良さそうに見えるらしいので、自分の機嫌は自分でとるのが一番だ。それに気づいてから、きつくなることは少なくなったと思う。

出処がわからず、なんだだろう?理由がわからない。なーんともないのに。みたいな事も、自分から出てきたものならば、確かに自分の感情の一端なのだと思う。私の口癖は、自分へのSOSみたいなものだったのかもしれない。

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