水面下

言い訳と記録 @underwaterilies

私はまだ、あなたの美しさを知らない。

she isに寄稿された『五線譜に紡ぐいくつもの感覚』という小指さんの文章に大きな、大きな感動を受けて昨夜はぶるりと震えてしまった。ひとりの人間という存在の途方もなさに、私は立ち尽くすしか術がなかった。

https://sheishere.jp/voice/201808-koyubi/

小指さんの描くスコアドローイングは本当に美しくて、実体を持たぬ(いや、音としての実体はあるのだが)音楽が、小指さんというフィルターを通して私の前に可視化される。それをまた私自身、自分のフィルターを通して見ている。

これは表現というより彼女の感性を表しているのだろうが、ドローイングを見ながら山の丘陵や水面の波紋、光の反射などの連想を勝手にしてしまう。しかし、この自然と音楽を結びつけたのは小指さんの感性なのか、私の感性なのか、判別がつかない。

でもとにかく、そのスコアドローイングには私の知らなかった音楽があり、景色があり、世界の見えざる一部がある。

私は"普通でいること"に執心している子供だった。自分の考える普通を維持するためになら無干渉や無関心という防壁を張ることは当たり前で、"他人に謗られない"という私の普通の基準に満たないものは、それがたとえ私の感性の一部であっても無いものとして扱った。その防壁の前で壁に気づかれないようにパフォーマンスをして、そうできない子より優位にあるような気さえしていた。自分で視界を塞ぎ、自身の世界さえ暗幕で覆って、狭い狭い世界しか見ずに生きていた。

だからきっと、もし少女時代に小指さんと毎日同じ場所で出会ったとしても、私はその狭い視野からでしか彼女を見なかっただろう。

こんなにも、こんなにも心を揺さぶる美しい景色を知らずに、自分の狭小な普通の上で丸くなっているに違いない。そう考えると、私が見過ごしてきた膨大で想像もつかない新しさや素晴らしさを秘めたものたちがいたことに、心が締めつけられてしまう。

そんな生き方の恐ろしさ、そんな生き方をしていた自分自身の恐ろしさが胸を覆った。

考えているうちに、昔の記憶がよみがえってきた。弁論大会の記憶だ。

私の学校には各生徒が自由テーマで作文を仕上げてきて、生徒の前で読み上げる弁論大会と呼ばれるものがあった。誰もがテンプレートとされる、自分の体験からの学びや気持ちを読み上げる中、自らが考える世界を語った女の子のことを思い出した。変わっていると言われる子で、やはり私とは距離があったが、彼女の見る世界の豊かさに星が瞬くような感動を覚えた記憶が浮かんできた。

「私達は多くの細胞からできています。私は、私の細胞の中に小さな小さな地球があると考えます。その地球にいる1人を仮に太郎と名付けましょう。すると太郎の細胞の中にも小さな地球があり、そこにいる1人は次郎と名付けます。すると次郎の細胞の中にも小地球があり、そこには三郎がいて、その三郎の中にも地球があり誰かがいます。太郎も次郎も三郎も、私と同じように眠りから覚めて、食事をして、勉強をして、おしゃべりをしてまた眠ったりします。

もしかすると、この宇宙の中にある地球にいる私自身も、誰かの細胞の中の一部なのかもしれません。」

ざっくりとまとめるとこんな内容だったと思う。私は十数年後の今改めて、彼女の体を形作るたくさんの宇宙と、ここにある宇宙の広大の可能性と狭小の可能性に想いを馳せた。

同時に小指さんがお父様の頭の中を小宇宙と形容したことが、ストンと腑に落ちた。

宇宙のことはあまり詳しくないが、とても大きいこと、どこまであるのか、なんのためにあるのか誰も知らないこと。人類がまだ見つけていない事実があとどれくらいあるのか、見つけた事実より多いのか少ないのかさえわかっていないことは知っている。

なんだ、そっくりじゃないか、と思う。

小指さんも、あの女の子も、家族も、好きな人も苦手な人も、私のことを嫌いな人も、彼らの思考や感情は、あの時はあそこにあったが今はどこにあるのか、

興味や関心、好きなこと、嫌いなことは知っていることの方が多いのか、知らないことの方が多いのか、わからない。

わかるのは私の視界に映るものよりずっと大きく、想像もつかないものがきっとあるということだけ。もしかしたら私自身でさえ、自分が思っているより果てしないのかもしれない。

昔、"普通ではないから"という理由で無いものとして目を瞑ってきた自分の感性を愛そうとする試みの一つで、ここに文章を書いている。ずっとひた隠しにしてきた部分なので、書くのも公開ボタンを押すのも、まだどきどきしてしまう。本当に臆病なので、ここのことは誰にも打ち明けていない。この場所を否定され笑われると、私の心は崩れ落ちてしまうから。大切だと言い合う相手にも、親友と呼び合う相手にも、弱くて臆病な私は口を結び、見えないように隠して笑う癖がまだ抜けない。

でもいつか、朗々と語り始めたい。

私の見る世界を、私の感性と言葉で、

好きな人にも苦手な人もにも、胸を張って、何にも脅かされずに。守り抜くのだ、私の強さで。

恩田陸さんの『恋はみずいろ』という短編の中にこんな一節が出てくる。

"モーツァルトの音楽は彼の人生の上澄みであるとともに、この世界の上澄みなのです。狂気と苦痛と孤独と絶望に満たされた海の、澱の上の僅かな上澄み。だからああも美しく、あんなにも純度が高いのでしょう。"

小指さんのスコアドローイングは私の知らない世界の一部で、そしてまだ知らぬ美しく力に満ちた世界がこの世に、人間の中にあることを教えたくれた。彼女の隣に立ったとしてもその景色をみることは叶わないが、互いに何処にいるのかも知らない今、私はその素晴らしさを眺め、心を揺らしている。

美しいものは柔らかく、脆く、繊細なものに根をはる。そんな部分を表現として形造り、広く公開してくれたことに感謝している。ありがとうございます。

ひとりの人間というものは、

途方も無い宇宙に似た何かで

私にはそれが見えず、

たまに運良く見ることができたりする。

彼女の世界は彼女しか知り得ず、

それは私の世界も同じこと

もし互いが見えたなら、

それは星が生まれるような奇跡だ。

ただ一つの事実は自分の世界を生きるあなたは美しいということ、そして私はまだ、あなたの美しさを知らない。それだけだ。

f:id:under_water:20180825092723j:plain