水面下

言い訳と記録

この眼に映る真実

やっと手に入れた切畑水葉さんの『草かんむりと嘘つきの庭』ウェブ漫画で連載なさっていた時から追いかけていて、今回単行本になるということで絶対買う!という思いを持ち、金欠を乗り越え手に入れたらこんな時期に…でも読み返しても素晴らしくて、こんなに美しい本が手元にある事が本当に嬉しい。

一話を最初に読んだ時はその世界観に惹かれて好きになったのだけれど、いよいよ最終話となり読み終わると、胸がとても苦しくて苦しくて、"やっと、やっと言ってもらえた。"と思った。

こんなことを伝えてくれる誰かが居ることが、嬉しくて嬉しくて切なくて、救いで、堪らなくなる。

ずっとそう言ってもらいたかった、ずっと私の見える世界を、そうやって言ってもらいたかったのだ。

子供の頃の話をしてもいいだろうか。家族にも恵まれ、特筆すべき不幸は経験していないはずだが、私は幼少期にあまり良い思いがない。ずっと、早く大人になりたいと思っていたからだ。大きくなれば、大人になれば、このつらさや生きづらさは解決すると思っていた。

よくありがちな、内向的な子供だったと思う。本を読んだり、空想したり、自分の世界を眺めて遊ぶのが好きで、人とお喋りすることは苦手で、文字で書く方がずっと自分の思いを伝えやすかった。ひとたび夢中になると本でも空想でも自分で止めることはできず、周りは見えなくなった。

けれどこういう性質はよく笑われた。ひとりで自分の世界を遊ぶときや、話を上手く伝えられないときに、またやってる、と笑われた。どことなくそれには、子供達からも大人たちからも揶揄が含まれていて、ひどく恥ずかしくなったのを覚えている。(もちろん子供の1人遊びにそういう気持ちが芽生えるのは今なら理解できる。微笑ましい気持ちもあっただろう。)

笑われることから、私は自分の性質は悪いものなのだろうと思うようになった。小さな発見から大きな物語が始まりそれに囚われて周りが見えなくなることも、喋り下手も、引っ込み思案も、他人が面白がることを何一つ言えないことも。全部悪くて、みっともないことなのだと思い、治そうとした。

誰かが側にいれば、私の小さな発見は握りつぶし無いものにした。思考の世界に囚われないように。

初対面の人にもさも気安そうに振る舞い、上手い人のお喋りを観察し真似して実践した。みっともない人見知りを発揮しないように。

他人が面白がることが話す価値のあることであり、平気でうわべの言葉を使いおどけてみせた。つまらない私の話なんて必要とされてないから。

もちろんこの変化で良い思いもした。取っつきやすいと思われ、敵視されることもほぼなく、友達も作りやすかった。スクールカーストの真ん中を渡っていき、家族にはいい子として認識され信頼されている。

でもそこまでの努力はもう二度と繰り返したくないほどで、喋りが苦手なので話せば「何いってるのか分かんない」と言われたり、気持ちを押し殺して無理やりおどけてみせたり、楽しかった空想の世界に行かないようにすることも心に疲弊を与えた。誰もいない時にひっそりと空想へ抜け出す事にしていた。

唯一笑われない性質は本を読むことぐらいだったので、本の中に深く深く潜り、現実の世界を抜け出すのが大好きだった。

本が好きで文学部に行きたいと母に告げると、大反対を受け、どれほど文学部進学が無駄なのかをとうとうと説明された。母が私の将来を憂慮して考えてくれていることはよく分かったけれど、ああ好きという気持ちなんて無駄なのだ、私の好きなものに価値なんてないんだ、と諦めの気持ちが沸き起こった。この性質は悪いものなので、要らないものなので、認められなのは当たり前なのだ。

それから私は自分を戒め、高校3年間は本を一冊も読まなかった。

こういう本来の性質からの変化が結果として悪かったのか、と言われると悪いとは断言できない。あのまま成長すれば生きにくい部分は多々あったであろうと想像がつくし、作り上げた性格のお陰で友や家族からの信頼と情を得た部分もあるからだ。(努力なしにそういうのを勝ち取るのは多くの場合難しいと思う)

しかし、常に自分の性質を否定し続けた経験は、今でも私の根っこに怯えを残した。無価値で不必要なものが私の根っこなのではないだろうか、私は皆んなに嘘をつき続けているのではないだろうか、と。

そんな想いの中で、この物語は私の取り残された心を掬い上げてくれた。

主人公の蕗くんは、普通には見えない小人のようなものが見え、それの話をすると「嘘つき」と言われ、それは自分の妄想だと思い込む。

見える蕗くんを庭の管理役として雇い入れたのは同じ目をもつ庭の主のキャベツで、2人は出会って互いの目に映るものは嘘ではなかったことを知る。小人を庭師と呼び、共に庭を世話しているキャベツは、キャベツの願いである年末の庭師の忘年会を催させるために蕗くんと1年契約を結ぶ。瑞々しい世界観で植物の生とファンタジーが交わるお話は、物語としてとても魅力的で楽しい。

植物の絵も本当にきれいで、キャベツの孫のたまきちゃんもかわいい(髪を眉上前髪ロングにしたくなる)。

そして、沢山の宝物のような言葉がある。

キャベツの最後の言葉にとてもとても救われた。ずっと、ずっとそう言ってもらいたかった。

苦しい、胸が苦しい。幼い頃の想いや光景が私の中を、駆け巡った。

あの日雲の隙間から差し込む光を梯子と思ったこと、定規にくり抜かれた三角や丸の中にある無限に思いを馳せたこと、自分の僅かな一歩も積み重なればこの体を遠くへと運んでしまう不思議。

あの梯子は何処かへ繋がっているのではないか、この窓の中には違うものが見えるのではないか、私の足と共に私を運ぶ何かがいたりして…

けれど、これは変なことだから、私の見える世界を話したり、遊んだりすることは変なことだから、やめないといけない、上手にしないといけない。そう思って口をつぐみ小さく小さくなるよう、うずくまり続けていた日々。

光のような言葉に、うずくまっていた私はやっと顔を上げた。間違っていなかったんだ、時折、たまらなく世界が眩しく美しいことも、この眼が見るものはまぎれようもなく、善いものなんだ。

キャベツと出会って見えるものを見つめ続けるそのうちに、蕗くんは見えることを呪わなくなる。見続けたいと思うようになる。

けれど、2人が出会えたのは、キャベツが嘘をつかなかったからだ。「嘘つき」と言われようとも、自分の眼を信じ続けて、何にもならない自分にとって大切なことをずっと大事にして。

やめなきゃな、と思う。嘘をつくことを。

この眼に映る真実があるのだから、口を開き語り始めなきゃ。いつか同じ眼を持つ誰かと出会うために。

本当に沢山の人に読んでほしい。できれば全ての子供たちに読んでほしい。全ての子供でありたくなかった人たちにも、読んでほしい。

そうして沢山の人たちが、見えるものを語り始めたらいい。きっととっても素敵だろう。

f:id:under_water:20180925140707j:plain