水面下

言い訳と記録 @underwaterilies

徒然:笑顔の写真

気づけばこんなに期間があいてしまっていた。なんと最後に書いたのは3月。紙の日記もあまり更新していなくて、自分を見つめることをサボっているなあと感じる。

生活がそれどころではない、という面もあるので、今までみたいに大きな内容(大きなというのがどういうことかは定義できないけど)ではなくても書いていこうと思う。

うんうん唸って書いたものではないので、読んでもつまらないだろうから、タイトルに『徒然』とつけるので、避けたい人は避けてね。

時間を無駄にさせないための配慮のつもりです。


私はちょっと人より長めに学生をしている。

小さな、特殊な学部だからというのもあって、多分他には少ないのではと思うが、大学の卒業アルバムを作る。

今日はその写真撮影日で、個人写真や集合写真、スナップなんかも撮った。

それがすごく、凄く楽しくて、自分の顔も心から楽しそうに写っていて、少し驚いてしまった。私は以前写真を撮られるのが嫌いだったから。

あの、カメラに向けて笑ったつもりでも不器用な真顔を向けていた子供がこんな顔をする人間になるのだな、と驚いて、嬉しかった。


学校というものが嫌いだった。嫌いなひとは沢山いるとは思うけど、私はその時嫌いな理由がよくわからなかった。

勉強はそれ程苦ではなくて、成績を上げるのは楽しかったし、人間関係も苦労したことはないと言ったら嘘になるけど、私は人に嫌われにくい無害ジャンルの人間なので楽なほうだった。

青春を謳歌はしなかったけど、全く味わっていないわけじゃない。学祭でステージ発表の抽選に外れたのに、クラス皆んなで中庭でミュージカルを強行したのは実にわくわくしたし、選抜で歌わせてももらった。


でも、早く学生から抜け出したかった。学校に通う毎日を終わらせたかった。

偶に、自分の足元から一歩踏み出せば暗闇の穴へ真っ逆さまに落ちてしまうのではないかと思うこともあった。

日々は輝くよりも、漫然とぬるい空気のこもった部屋の中で息苦しく、気まぐれに吹き込む風に息継ぎをしている心地だった。


だから、学校が楽しいという経験を大学で初めてした。学校というか、毎日通う場所と毎日会う人が好きで、楽しいという日々が初めてだ。

気の合わない人には最低限の関わりでよい。

そりが合わなくなったら離れていい。先生が介入してきたり、席替えで気まずい相手と近くなったりしない。

好きな人と夜まで遊んでいいし、好きなことを朝までしてもいい。

小説を読んで夜更かししてうとうとしながら受けた授業とか

付いていくのが大変な授業後にゼーハーしながら甘いものを買いに行ったこととか

帰り道別れがたくて道端で友達と話し込んだりとか

くだらないことでお腹を抱えてわらったりとか

先輩に誘ってもらったりとか、後輩に慕ってもらったりとか

永遠にしまっておくのかもと思っていたことをぽろりと零した後に真摯な言葉が返ってきたりとか

私はたまたま、最後の学生生活でこれらのことを受け取ったけど、きっとそういうのって、学生の間だけってことではないんじゃないのかなあと思う。

きちんと生きていれば、自分を大切にして相手を自分と同じように大切にすれば、人生のどこかしらで受け取れる類のものなのではないかな。


私と同じ環境にいても、この環境を恵まれたものと感じない人ももちろんいると思うし、たまたま私がこの環境と相性が良かったのだろう。

そして、今までの環境は相性が悪かったのだと思う。


制服が嫌いだ。スカートの丈を注意されるのも、前髪の長さを指摘されるの嫌いだ。

私は長いスカートをひらひらとさせられるし、長い前髪も上手にカールさせられる。


教室の中で決められた席に座るのも嫌いだ。

私は好きな子を笑顔にする話ができるし、昨日あったことを直ぐに話したいひとがいる。


興味のない集会もイベントも嫌いだ。

私は情報を収集できるし、興味のあるものは選び取る感性がある。


黒いスカーフより赤いスカーフが好きだと知りながら、毎日黒いスカーフを巻くのは苦痛だった。今ならそうやって学校が嫌いだった理由を話すことができる。


だけど、それも嫌な環境から抜け出したからだ。

その中にいるときは、息継ぎすることに必死で、なぜこんなに息苦しいのかなんてとてもじゃないが考えている暇はない。



生き延びれば、その先に自分が知らなかったものがある。

知らなかった苦痛もあるだろうが、知らなかった幸せもきっとあるはず。

思いがけず、笑顔の写真を得た私はそう考えることができるようになった。

忘れるもんか、と今日、思ったのです。