徒然:魔女おばあちゃん集会で会いましょう
綺麗になりたい。と思っているいつも。
容姿に昔からコンプレックスが多いので、自分の顔立ちに文句つけたいところは色々あるが、私はそれを全部改善したら満足できるわけではない。ということが最近わかってきた。
この間、可愛い顔立ちで生きてきたひとと電話をしていて、容貌が老いるのが怖いということを言っていた。
シワやシミで、自分の顔が老いるのが怖いと。
私も服やメイク、髪型など容姿に拘りが強い方なので、み〜きち(私のこと)もそう思わない?という話だった。
たしかに乾燥して顔がシワシワのカサカサになったり、歯が無くなって健康に噛めなくなったりしたら嫌だが、容貌が衰えるのが怖い、という気持ちは持ったことがない。
まあ、顔立ちでちやほやされたこともさしてないということもあるだろうけど。
でも、人の顔って歳をとるほど顔立ちとかシワとかシミとか関係なくなる気がする。
(最低限の清潔感と健康な肌や歯、血色がよいというような容姿は大切だけどね)
文句を言いそうなおばさんは文句を言うぞ、という顔をしているし。
セクハラをしそうなおじさんは、セクハラをするぞという顔をしていて、予感が当たることが多い。
見た目で判断できないこともまだあるが、そこは私が未熟者なのもあるはず。精進である。
20歳までは親の顔というけれど、歳をとればとるほど自分の顔になる、という実感がある。
何がそうさせるのかはわからないけど、自分の生き方が自分を形作るのは事実なのだろう。
彼女と同じように、私も綺麗になりたいと思っている。常に。
肌はつるつるしてたいし、まつげはぱっちり上げたいし、唇にはよい色をのせていたい。
けれど同じくらい、語るべき好きなものを見つけたいし、自分のセンスに自信を持ち、素敵なものを日々アップデートしながら生きていきたい。
そう考えると、容貌がどうのというより、歳をとって沢山のものに触れて、自分の世界を広げるほうが、よっぽどワクワクしない?
私はワクワクする。美術館で感動に震えるのも、音楽で天才がいる…と痺れるのも、素敵な洋服や靴に出会い運命だ!と飛び跳ねるのも、これから何度もあると思うと、すごくワクワクする。
楽しそうに笑う目元にシワが出来ればよいし、無骨なアンティークの指輪が似合うくたびれた手元も憧れる。
若いころには似合わなかったもので、新しい自分も発見できるかもしれない。
すごく料理や編み物が上手になっていたりして。やだめっちゃ楽しみじゃん。
私は大鍋で料理をして、独創的なインテリアの部屋に住み、いろんなものを創り出す魔女みたいなおばあちゃんになるのが人生の目標なので、それに向けて日々精進である。
彼女も巻き込んで、魔女おばあちゃん集会を開催しちゃおうかな。