水面下

言い訳と記録 @underwaterilies

ひろうにぎるあさるまぶしみどりまぎれおはよ

ああ、まただ。と思う。

切畑先生のお話に心の柔らかい、誰にも見せないような、でも光って熱くてたまらないような部分を握られてしまうのは、まただ。と思う。


https://twitter.com/uzunyan620/status/1094202802216230912?s=21

(ツイッターで拝見してこれを書いたので、ブログから見たひとは何が何だか分からなかったと思います。ごめんなさい。)


「夜は、眠る人のためだけにある」という言葉を目にしたことがある。そのとき私は、ぱちんっと、何かから覚めたような気がした。
眠る人にしか、夜は訪れないのだ。では、眠らない人にあるのは何なのだろう、と考え込んだ。

その少し前の時期、心が限界を迎えた。
なろうとしたものには到底なれなくて、どんどん心がすり減って。でも、みんなそんなもんなんだ。こんなことですり減るほうが悪いんだ。だから、すり減っても頑張るのは良いことだから、これが良いことというのなら、早く苦しくなくなって。
と唱え続けていることが、限界になった。
だめだ、変わらなきゃと徐々に思い始めていた。
それは突然気づいたわけではなくて、家を出る足取りが日に日に重くなり、帰ってきてもう動けなくなってしまう晩を幾度も経て、その気持ちはふくふくと大きくなっていった。
何かを間違えている。このままじゃ、なにか大切なものが死んでしまう。
でも、何を間違えているのか、何を喪おうとしているのかはわからなかった。
私はつらくてもこの日々を良いことと盲信して長らく続けてきたので、解き始めた数式はこねくり回すほどに答えから外れていくように、古文の読解は読み違えるとどんどん違う物語になっていくように、答え合わせにはもう随分と遠くに来てしまっていた。
だからゆっくりと、こねくり回したものを辿っていくしかなかった。
指を添えて、ひとつひとつ辿りながら、ここが間違っていたんだ。こうしたかったんだ。と私の最初の公式に向けて少しずつ戻っていった。
時間をかけながら、私の心は楽になっていった。まずバイトをやめて、その時間で甘えだと辞めていたことを再開して、琴線に触れたものは何でも迷わず手に取るように心がけた。
そして、足跡をつけるように文字に起こすことを始めた。もともと作文が大好きだったのだが、もっと優先すべきことが人生にはあると思い込んで、長らく書いていなかった。
言葉にすると、驚くほど自分の気持ちや考えがわかった。なんか嫌、はこれが理由で嫌だとわかる。良い気がする、はこういうところが好きだとわかる。
その時は、頭はすっきりと冴え、思考は整理され、めがぱっちりと開くような、普段かかっている靄が晴れるような心地になった。
そうして、「夜は、眠る人のためだけにある」という言葉を目にした。
ああ目覚めだったんだ、と思った。私が得たものは、目覚めだったんだと。動けなくて気分が落ち込んで消えたくなって好きも嫌いもよくわからなくなるそんな夜は眠っていたからやって来たんだ。
眠らぬ人に、夜は来ない。

趣味じゃない服も、向いてない仕事も、体調の不良もずっと眠っていたから気づかなかっただけで、もう目がさめたら、全部はっきり見えてしまうから。曖昧に全てをぼやかして、周りに合わせて、そうやって生きていくのはひどく簡単で安心で緩慢な眠りのなかにいるようなんだけど

「けど、起きたからにはもう私寝てられへん
本当に、よく、寝たから」

「だからもう私一生、起きていることにする」

そう決めた彼女の顔に胸がぎゅっとなった。


私も、起きていることにする。
目が覚めてしまったので、見えてしまったし気付いてしまったので、もう起きていることに決めた。だから私に、眠るための夜は来ない。
私にこれからあるのは、時間だ。作ったり受け取ったり渡したり感じたり考えたりするような、短いような長いような、永遠のような一瞬のような時間だ。

だから私も一生、夢に、起きていることにする。

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